占いで「幸せなはずの時期」になぜかそうならないという話
四柱推命の大運からみると今まさに幸せな時期であるはずなのに、なぜか全く幸せではなくむしろ試練の方が多い、、、
ということがあります。
四柱推命の基本的な見方として、命式と大運との関係で五行のバランスが取れている時期がいわゆる幸運な時期であるとされています。
しかしこのいわゆる「バランスのとれた良い時期」は、実は「一般的にいわれる幸せ」であり「その人個人が思い描く幸せ」とは少しズレがあることもあります。
人それぞれ、
「何に一番幸せを感じるか?」
は違っています。
物質的な豊かさを求める人もいれば、精神的な豊かさを求める人もいるし、その二択ではなくその中でも一番求めるものはそれぞれなんですよね。
命式と大運の兼ね合いで五行のバランスがとれている時期は、いわゆる物質面でのバランスがとれている時期ともいえるし、それによって精神的バランスが良くなるということもあります。
一方、五行のバランスはいまいちだけれど命式の景観的な見方で美しい風景になっているとき、それは目に見えない満足感だったり一般的ではなくてもその人が本当にしたいことが上手くいくということがあったりするようですね。
幼い頃から誰かに教えられた幸せが、本当の自分の幸せと一致しないこともある。大運はいわゆる良い時期で、すべて安定はしているのになぜか幸せではないというのは「何をもって幸せか」というところによるのでしょうね。
良い悪い、というのは裏と表に同時に存在しているということ。
人生は白か黒でもなく、グラデーションのように少しずつ変わったり混ざっていたりする曖昧なものなのでしょうね。
四柱推命という思想体系?学問?で人間の人生を解き明かすことは、一体どこまでできるのでしょうか。
分からなくて不思議で、でもほんの少しだけ宇宙や自然のしくみに触れることができる方法が私にとってはこれなのかもしれません。