この世界が「色即是空」だというのなら

最近泣いてなかったなあ~

と気付いたのは、とある方のとあるコミュニティでの書き込みがきっかけでした。

まだ結婚も出産もしていない、独身で気ままに青春?していた頃に私が本当に好きだったバンド、フジファブリックの『若者のすべて』という曲についての感想をその方は書かれていたんです。

動画を張り付けて下さっていたので久々に聴いてみたら、なんかあの頃の自分の青臭さや未熟さも含めたあの頃の感情?感覚のようなものが蘇ってきて、気付いたら泣いていたという感じで。

人間て、日々忙しすぎたり必死だったりすると自分自身をどこかに置いてきてしまうというか、自分と向き合うことをしなくなるんだなあと子供の入院先の病院にて思ったのでした。今も病院にいます。いやあ、なんだか自分をどっかに忘れてきていたわ。

子供の入院の付き添いはけっこう過酷なんだけれど、自分の時間もいつもよりは取れたりもするのでそのおかげで気が付いたことがたくさんありましたね。人との繋がりって、想いって、けっこうすごい力があるんですね。たとえ会ったことのない人でも。

忙しい人生、誰かに求められている人生を私はずっとこれまで求めてきたのだから、今のこの人生はその通りに運んでいるのだろう。

でも、私は必死になると本当に他のことがおざなりになってしまったりするタイプ(猪突猛進)なので、たまにはふっと立ち止まる事って大事だなって実感しました。

仏教や量子力学が示すように、この世はすべて「空」でありすべてが自分自身の「認識」によるものでしかないのだとすれば、自分が生きている中で反応する出来事や言葉や音楽なにもかもすべては、即ち自分の中にあるものだということになる。

そこにはすべてがあって、なにもないということ。

五行の「火」の世界では私たちはみんな違っていてあなたと私は別だけれど、それはそういう認識を持っているだけでそれも真実であるとはいえる。けれども、五行の「水」の世界ですべては「ひとつ」で「同じ」であるともいえるということ。書けば書くほど分かりにくくなる世界ですね。何を言っとるんだと。笑

話が見えなくなってきましたが、

人との繋がりも、大好きな音楽も、それはどこか自分自身の中にあったものが反応した結果のようなものが現象として?あらわれたに過ぎないのかもしれんということなのか。

昔も今も好きな音楽や音楽家にも共通点がある。

自分の身を削って何はなくとも自分の作る音楽のみ。それだけを研ぎ澄ましていく、そのために生きている。そういう人の生き方にきっと私自身が憧れているんだろう。無難に生きようとする自分にはなかなかできないから。

そんな訳の分からないことを考えながら、2歳娘の寝顔を見る入院3日目の夜でした。