その『裏側にあるもの』をみるということ
命式をみるとき、その人のこの命式には『何があるだろう?』という視点でみてしまいがちだと思います。
この命式には「財」が多い、とかこの人は「官殺」を持っている人だ、というように。
東洋思想の基本的な部分、すべては陰陽であるというところを鑑定するときにもけっこう見逃してしまったりするんですよね。実は、その人の本質的な部分や隠れた自己のようなものは『裏側』に存在していたりするのだけれど。
例えば、命式に「財」がまったくない人って、お金が入りにくいとか貧乏になるとかではなく「財」に関して底が抜けているといえるそうで、お金が入らないときは全く入らないけれどある時期が来て急に莫大な財が自分に入ってきたりする。中途半端に財が少しだけある人よりも、お金が入るということがある。もちろん「財」はお金だけを意味しているわけではないので、今のはたとえ話なんですが。
四柱推命は4つの天干と4つの地支によって成り立っていますが、その八字のなかには存在しないけれど実は暗に存在しているということもあります。
例えば、壬だらけの命式には実は裏側には丁が存在しているというような。これは、壬の干合の相手が丁でありその結びつきはとても強いもので対極同士のものだから。壬が丁を呼ぶ、というようなイメージかなと解釈しています。
十二支でも同じように、申、酉、亥、子の地支がある命式だとすれば、この命式には「戌」が暗に存在している命式ということができますね。それは、十二支の順番で考えると分かりますよね。酉の次は戌、戌の次は亥なのであおの間に入るということです。なので、この地支のならびをもつ人は「申 酉 戌」の金の五行がとても強い命式と読むこともできるんですね。
この『裏側にあるもの』を読み取ることができるようになったら、鑑定を一面的なものとして目に見える部分だけ読むのではなく、命式から「感じ取れるもの」を深く読んで球面的な全体をみる鑑定ができるようになるのだと思います。
白か黒か、
良いか悪いか、
得か損か、
のような見方をする占い師さんはけっこう多いように感じます。
でも、人間というのは存在自体が実は曖昧なものであり、こうであると決めつけることができないはずなんですよね。一つのこの世に生まれた命があり、その生まれ持った命式に作用する後天運は常に変化していくし、それに伴い自分自身の心も体も少しづつ変化していくのだから。
そのとき、その人がどういう選択をしたか?
という不確定な要素もそこには加わってきます。
鑑定をするということは、ご相談者様の人生をただ眺めるのではなく、
ちゃんとその人の人生を「感じる」ものなのかもしれません。