五行の循環と「幸福」について

最近、東洋医学についての学びを深めたいと考え、ある鍼灸師さんの本を読んでいました。

最近は、東洋医学について学びたいと思った時にオンラインで安価で好きな時間に自分のペースで学べるので本当に良い時代だなあと。東洋医学についての知識をしっかり学び、自分や家族にも生かしつつお仕事にも生かしていけたらなあと思っています。

東洋医学の本を読んだ後にちょっとうたた寝していた時、

ふと腑に落ちたというか、そうか!と思ったことがありまして。

四柱推命の命式と運気の流れ、

その人の今の現実、

そのすべてを考慮してその上でどの時期に何を補っていけば最終的に「幸福」でいれるかというのは、やっぱりすべて五行の循環の中にあるのかもしれない

ということです。

基本的に宇宙の法則として、命式や運気を生きていく中で五行が揃うことによって流れができ、物事が比較的スムーズに進んでいくということはいわれています。でも、四柱推命における命式と運気のみ見て「あなたの人生はこうだ」とか「こうすれば必ず幸せになれる」というのは実際には当てはまらないことが多いんですよね。

それは、今あるその人の環境や意思など現実面を考慮していないからかなと思っています。

それに加えて、

「今ここ」

だけを見ていて、

「人生全体」

を俯瞰して見ていないというところもあるのかなと。

人は人生の巡る季節の中で、様々な経験を重ねていきます。

その中で、生まれ持った命式は生まれた時のままではなく様々に変化していきます。

元々ある五行に偏った命式を持っていたとします。

例えば「金」と「水」の五行に偏った命式だったとします。そして、人生を生きていく中で「木」と「火」の運気(大運)に出会います。そして、命式にも大運にもなかった「火」は意識的に人生の中で自分で取り入れていくとすれば、人生全体で五行の循環ができることになります。

それは、パートナーや子供かもしれないし、仕事や趣味かもしれない。色んなパターンが考えられますが、人生の要所要所の学びを終えながらその中で「流れ」ができていき、そこで何かひとつの物語が出来上がるというか。そうして最終的に満足感を人生の最後に感じることができるのではないでしょうか。

それは人それぞれ全く違っているため、何が正解というものはきっとありません。

私たちの生きる世界には、何だか「正解っぽいもの」がありますがそれに惑わされてはいけないんだと思います。

で、私も以前ここに書いていましたが「不足の五行を補う」ようなことも、今すぐに即席でできることなんてたかが知れているのかもしれません。

もし私たちが何か、それぞれにやりたいことや成し遂げたいことがあって生まれてきたのであれば、人生全体においてそれは達成できる可能性があるものなのかもしれません。

元々誰しも何かが欠けている存在として生まれ、少しづつ少しづつゆっくりと「〇(マル)」に近づいていく感じです。

私自身の人生で考えても、それはかなりしっくりきます。

私は元々かなり偏った命式(土・金)の持ち主ですが、運気の流れでみると・・・

10~20代は自分の表現ややりたいことをひたすら行動力に任せてして(水)、30代に結婚や出産を経験しパートナーや子供やお金についての学びをしています(木)今現在もそれを学んでいる真っ最中です。

この先は、水、木ときて火の運気が来ますが、今私がこの先に求めているのはやはり仕事(火)です。

今は木の大運でその学びの中にいるうちは、やっぱりそれを学ぶのに一生懸命になるべき時期なんだなという実感がありますね。

人にはその人なりの「今はこういう時期」というフェーズのようなものがあり、落ち着いてその「時期」見極めて時にはないものを補う行動を取っていけば、割と満足感の高い人生というものが送れるのかもしれません。

今すぐに大きく変化することは難しくても、色んな人と出会い、学んでいく中で自然と変化していくものなのかもしれませんね。

自分自身がどういう生き方を求めているか、どんな季節(運気)を巡っていくのか、持って生まれた命式という個性をどのように生かしていきたいのか、そういうことを全部ひっくるめてちょっとマクロな観点でみてみると、なんだか今までとは少し違ったものが見えてくる気がしました。

どうして私はこういう選択をして生きてきたのか。

私なりの最終的な「正解」は何か。

うっすらと、少しだけ見えた気がした日でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です