不足の五行を補う?いや、そういうことじゃないのかも
以前、心理学のビッグファイブ理論と四柱推命の通変の多くの部分が対応しているのでは?という記事を書いたことがあるのですが、色んな命式と照らし合わせたり人と話していている中でやっぱりかなり信憑性が高いなという感じです。
最近YouTubeで量子力学で証明されたことが仏教の教えと重なる部分が多い、というような内容の動画をいくつか見て、今も昔も結局宇宙の真理はひとつだけで行きつくところが同じなのか・・・!!
ということですよね。
◆「色即是空 空即是色」のすべては空であるというブッダの教え
◆この世は観測した瞬間に実体化するが観測していない時はそこには粒子の波があるだけ
→この世は仮想現実である
量子力学についてはちゃんと理解できていないところも多いのですが、最新科学と仏教が同じことを言っているなんてゾクゾクする以外にない・・・と思うのです。
心理学という学問と東洋思想に基づいた四柱推命が対応しているというのも、じゃあ別に驚くようなことでもないのかもということですよね。
これまで四柱推命を学んできて、五行や通変がなぜそれがそれ自身なのかという根本のところが正直自分の中でちゃんと分かっていないことが腑に落ちなかった。こういうものという風に覚えた知識を披露するだけの占い的なものって必要かな?と徐々に思うようになっていたので、この点で最近しっくりくるようになってきたのかもしれません。
全部表現の仕方が違うだけで、根本原理はただひとつということなのかということです。
ビッグファイブの「経験への開放性」=四柱推命の通変「印」=五行「水」
になるかなと思うのですが、好奇心や想像力に関わるところに共通点があるし、水も印も経験への開放性もどこか分かりにくいはっきりしない曖昧なところも言うなれば共通点かもしれません。
「印」の概念は色々な意味はあれど「財」や「官」に比べてはっきりと言い表しにくいところがあります。
形而上的?心の世界?寄りのものなので、現実的な意味を持つ「財」などに比べてやっぱり言葉で表現しにくいのですよね。
四柱推命や易などを「占い」としてだけ学ぶと、自分の命式やその時の運気などで足りない五行を補うことが大事に思えるのですが、もっともっと俯瞰で「占い」の域をとっくに超えて、そもそもこの四柱推命はなんなのかということを考えはじめた時にまったく違うものが見えてきた気がするのです。
足りないものを探して補うというよりは、自分は何を持っていて何を持っていないのかを認識し、そんな自分自身に合う場所や役割を見つけてただただ苦しくない生き方をすればよいのかもしれないということかなとふと思ったんです。
摂取する栄養などに関しては不足しているものを補ってバランス良く身体をつくっていくことは大切かもしれません。けれどもその人の個性や生き方そのものとして考えた時、基準は世界や社会ではなく自分自身だということ。
ましてや、この世がブッダや最新科学がいうように仮想現実だとするならば、もはや基準なんてものも本当はどこにもないし、特別視する意味自体もないかもしれないですよね。
そんなことを考えていると本当に面白くてしょうがなくて、日常の自分からちょっと飛び出した世界にいる感覚がリフレッシュにもなったりしていて。
もっともっと知りたい!こういうことが身近にあるのって幸せなことだなと思ってます。
こんなことを考えながら子供のオムツを交換してる毎日です。